くにたち、あの日あの頃 - 1枚の写真によせて ‐
「くにたち、あの日あの頃」は、くにたち公民館だより 2003年6月(520号)から2011年1月(611号)まで、32回にわたって連載された記事です。
「国立流-まちの記録」への掲載は、国立市公民館およびくにたち郷土文化館のご協力により実現しました。
くにたち、あの日あの頃 2 - たまらん坂
たまらん坂(多摩蘭坂)は、国分寺につながる道として国立を開発した箱根土地株式会社が整備をした。東京商科大学(一 […]
くにたち、あの日あの頃 3 - 緑川の流れ
国立と立川の境付近を流れる緑川は、立川飛行場の排水路として1946(昭和21)年に完成した。その後1960(昭 […]
くにたち、あの日あの頃 4 - 大学通り
船着場を思わせる写真だが、正面に国立駅が小さく望まれ、出水に見舞われた大学通りであることがわかる。このような情 […]
くにたち、あの日あの頃 5 - 国立駅北口
国立駅北口の開設は1959(昭和34)年9月で、駅前広場の造成もその年に完成している。北口町会の30年記念誌に […]
くにたち、あの日あの頃 6 - 国立町役場
1937(昭和12)年に甲州街道沿いから移転した“役場”の建物は、1967(昭和42)年の市制施行後も増改築さ […]
くにたち、あの日あの頃 7 - 第三小学校付近
写真左手の第三小学校は、当初第二小学校の分校として1951(昭和26)年に設置された。正式に第三小学校として開 […]
くにたち、あの日あの頃 8 - 南武線谷保駅
多摩川の砂利運搬目的で敷設された南武鉄道は、1929(昭和4)年に分倍河原・立川間を開通させ、西府、谷保、西国 […]
くにたち、あの日あの頃 9 - 南武線矢川駅
南武線矢川駅は、住民の寄付によって1932(昭和7)年に南武鉄道矢川停留所として設置されたが、利用する人は稀で […]
くにたち、あの日あの頃 10 - 富士見通りの塵芥収集風景
鈴を鳴らして厨芥(生ごみ)収集のリヤカー(軽自動車のところもあった。)がやってくると、生ごみの入ったバケツなど […]
くにたち、あの日あの頃 11 - 甲州街道
アジア競技大会は、1948(昭和23)年のロンドンオリンピックに参加したアジア諸国によって、戦前あった極東選手 […]