くにたち、あの日あの頃 20 - 国立駅北口 1955年

国立駅北口附近 昭和30年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

国立駅北口附近 昭和30年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

中央線の北側一帯が、北1~3丁目となったのは1966(昭和41)年10月1日。町名地番整理以前は、大字青柳字下はけ、字拝島道北、字武蔵野などの字名と地番が複雑に入り組んでいた。1957(昭和32)年5月の人口は、北地区と立東地区を併せて5,900人(当時の総人口は27,000人)、国分寺町にまたがっていた都営住宅の編入もあり増加傾向にあった。

この写真は国立駅北口開設前の“北1丁目”のあたり。ここで戦前は草競馬が行われたことや(『くにたちに時は流れて』)、昭和40年代になってゴルフ練習場ができたことも過去の記憶になった。

住民の悲願だった北口開設は1959(昭和34)年9月。当時の広報によれば、総工費1,096万円は、国分寺70%、国立30%の割合でそれぞれの町が負担している。

 

くにたち公民館だより 2007年10月 572号 – くにたち、あの日あの頃20

出典 くにたち公民館だより

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