くにたち、あの日あの頃 23 - 第二中学校
第二中学校 昭和30年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)
町立国立第二中学校は、「中学校分校」として、1957(昭和32)年に完成、教員12名、生徒424人で授業を開始した。翌年、生徒数の増加に伴い、写真右側の校舎が増築され、国立二中として開校する。この学校の特徴は、教室相互の行き来を階段とバルコニーにたより、廊下のない建築様式としたことであろう。町報第32号(昭和31年11月15日)には、設計者の見解がイラスト入りで紹介されている。附属した時計台も、「さわやかな緑の麦畑が、一望できる土地」(町報の紹介記事)で、人目を引いたと思われる。当時の地番は谷保7955番地で、富士見台3丁目となるのは1965(昭和40)年。手前の草地は後の矢川上公園。
くにたち公民館だより 2008年01月 575号 ‐ くにたち、あの日あの頃23
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