くにたち、あの日あの頃 2 - たまらん坂 1955年

たまらん坂 1955(昭和30)年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

たまらん坂 1955(昭和30)年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

たまらん坂(多摩蘭坂)は、国分寺につながる道として国立を開発した箱根土地株式会社が整備をした。東京商科大学(一橋大学)が移転してきた折、通学する学生が発したことばがそのまま名前になったとされている。作家黒井千次に『たまらん坂』という短編があり、坂の由来について綴っている。
国立は雨後の排水が悪く“水郷国立”などと揶揄されたが、特に坂の下方などは、写真のように、池のような水溜りが道路を塞ぎ、車にとっても“たまらん”道であったろう。
そのたまらん坂を静々と下りてくるのはオート三輪。この車種は外国で発明され、1926(昭和元)年以降に日本でもっとも普及した車のひとつである。1974(昭和49)年まで生産が続けられ、廉価でありながら悪路に強い特徴を活かし、戦後の復興に大いに貢献した。

出典:くにたち公民館だより 2003年07月 521号 – くにたち、あの日あの頃 2

出典 くにたち公民館だより
キーワード オート三輪, たまらん坂, 黒井千次

history@kunitachi.jpn.com


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です