くにたち、あの日あの頃 26 - 富士見台の浄水場 1965年

浄水場とその周辺 昭和40年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

浄水場とその周辺 昭和40年代(写真:くにたち郷土文化館蔵)

国立町の一部には、箱根土地が敷設した小規模の簡易水道があったが、大部分の町民は飲料水を井戸水に頼っていた。町では1955(昭和30)年に井戸の調査を行い、汚染が深刻であることが判ると、国立地区全域を対象にした上水道整備事業に取りかかる。その方法は、公道の本管敷設を公費で行い、それ以外を受益者負担とするものだった。事務を担ったのは「国立町水道普及会」で、『町報』第65号を見ると、申込金千円、会費九千円を徴収していたことがわかる。

写真中央の浄水場の完成は1958(昭和33)年9月。国立地区は翌年から、本町地区は5年後の1963(昭和38)年から給水を開始した。この建物は今も健在。

 

くにたち公民館だより 2008年07月 581号 ‐ くにたち、あの日あの頃26

出典 くにたち公民館だより

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