東京都国立市のまちの歴史と写真の記録
写真の場所は、現在高層住宅が聳えるあたり。ここには1932(昭和7)年に大森から移転してきた塗料工場があった。バス停のポールは「日本自動車口」と読めるが、「日本自動車」はその塗料工場の親会社である。戦中は国立航空機塗料工場となり、“迷彩色の工場”として村人に知られていたが、戦後、国立化学工場と名を代えて、親会社が倒産する1968(昭和43)年まで操業を続けていた。
くにたち公民館だより 2003年12月 526号 ‐ くにたち、あの日あの頃4
出典 | くにたち公民館だより |
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