くにたち、あの日あの頃 4 - 大学通り 1950年

雨後の大学通り 1950(昭和25)年頃(写真:くにたち郷土文化館蔵)

雨後の大学通り 1950(昭和25)年頃(写真:くにたち郷土文化館蔵)

船着場を思わせる写真だが、正面に国立駅が小さく望まれ、出水に見舞われた大学通りであることがわかる。このような情景は、排水設備の整わない国立では珍しくなく、大学通りの舗装が完成する1966(昭和41)年頃まで随所で見られた。

写真の場所は、現在高層住宅が聳えるあたり。ここには1932(昭和7)年に大森から移転してきた塗料工場があった。バス停のポールは「日本自動車口」と読めるが、「日本自動車」はその塗料工場の親会社である。戦中は国立航空機塗料工場となり、“迷彩色の工場”として村人に知られていたが、戦後、国立化学工場と名を代えて、親会社が倒産する1968(昭和43)年まで操業を続けていた。

 

くにたち公民館だより 2003年12月 526号 ‐ くにたち、あの日あの頃4

出典 くにたち公民館だより

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