くにたち、あの日あの頃 19 - 旭通り入口 1960年

旭通り入り口 1960(昭和35)年頃(写真:くにたち郷土文化館蔵)

旭通り入り口 1960(昭和35)年頃(写真:くにたち郷土文化館蔵)

1925(大正14)年、東京商科大学(現一橋大学)と箱根土地は“国分寺駅から大学敷地まで幅五間以上の道路を作り、一般の交通や建築資材の運搬ができるようにすること”“幹線道路(大学通り)と約四五度の角度の放射線状の道路と幹線道路に直行する道路をつくる”とした契約と覚書を結ぶ。国立大学町の道路構想がかたまり、旭通り(当初は「如水通り」と名付けられた。)もこうしてでできあがった。

写真は1960(昭和35)年頃の旭通り入り口。「大増」「ヤマトストア」「丸信」「プリンス」といった商店の名前が見える。その奥には、大学移転とともに開店した「志田そば」(前身は喫茶「寶屋」)の看板も。国立銀座といわれた旭通りの商店街史については、旭通り商店会がまとめた『國立大學町旭通り‒くにたち旭通り商店街の歩み‒』(2003年5月)に詳しい。

 

くにたち公民館だより 2007年08月 570号 ‐ くにたち、あの日あの頃19

出典 くにたち公民館だより

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